日本IBMを退職しました

この度2018年11月30日を持って日本アイ・ビー・エムを退職しました。

せっかくブログをやっているので流行りの(?)退職エントリーを書き置きしてみました。

ただ、僕はメディアにでるようなすごい人だったとか、IBMの中で目立った成績をもってたとか、そんなことは全くありません。

あくまで一社員として、普通のその他大勢の中にいたので、その辺をご理解いただいた上でこのエントリを読んでいただければ。

なんで日本IBMをやめたのか?

なんで日本IBMをやめることになったのか?

理由は二つあって、

  • 環境を変えたくなった
  • 今の状況に限界を感じた

ってものです。

まぁ今の状況に限界を感じたから環境を変えたくなったといえば、理由は1つですが。

それぞれについて書いていきます。

環境を変えたくなった

まずは、一番の理由は「環境を変えたくなった」ということです。

この後の方で、僕が日本IBMの中でやってきたことを書くのですが、この数年は本当にタフでした。

割と一人でプロジェクトをコントロールせざるを得ない事ばかりでした。

年次的にもそのくらいできてほしいという会社、とういか上司の思いもあったと思います。

ただ、横をみると同じようなことを分担してやっている。

「なんでこうなんだっけ?」

という思いがあったり、

「僕だけなんでこんなめんどくさい調整とか多いんだっけ?」

ということを感じることが多くありました。

誰かに頼んだり、頼ればいいじゃんってのは、その通りです。

でも僕が性格的にお願いするのが苦手だったり、出来はどうであれば意外とできてしまったりする場面もあって、一人で抱えてしまうことが多かったんだと思います。

これまで積み上げてきたというか、そういった中で仕事をやってきて、周りがそうみているというのもあるのかな?とも思い、環境を変えてみるのも一つかなと考えました。

大きい会社なんだから、他部署に移ったり関連会社にいくという選択肢も当然あるのですが、結局はやっぱり同じ会社なので、まるっと違うところに行ってみようと思って、その選択肢はとりませんでした。

これが一つ目の理由。

今の状況に限界を感じた

次の理由は、「今の状況に限界を感じた」って事です。

上に書いた一人で回さざるを得ないってのも関連しますが。

自分の取り巻く状況、昇進とか昇給とか異動とか、色んなものが、「もう無理だな」と。

ここにこのままいても変わらないなという思いが出てきました。

もちろん外にでることで良くなるかどうかはわかりません。

でもなんとなく感じていた閉塞感が嫌だったんです。
そういう気持ちが強くなっての選択でもありました。

どんなことを日本IBMでやってきたのか?

どのくらいの人が興味があるかわかりませんが、僕が日本IBMでどういうことをやってきたかをある程度公開できる範囲で公開しておこうと思います。

日本IBMへは新卒で入社しました。
入社したのは2001年。
ちょうど「IT革命」なんて言葉でいろんなことが紹介されていた時代でしたね。

ちょうどそのくらいからでしょうかね。
いわゆる「アウトソーシング」としていろんな企業のIT部分(サービスも含めて)の運用・保守を請け負いますみたいなやり方が多く出てきた時代です。
今となってはまだまだアウトソーシングもありますが、個人的には戦略的に厳しくなってきたのかなとも思っています。

そんな中でまずはとあるアウトソーシングを抱えているプロジェクトの開発チームにアサインされました。
このプロジェクトは規模が大きく、開発や運用、エンドユーザーのサポートまで含めてかなり大規模な部分を持っていました。

当然プログラムなんて知らないし、サーバーって何?から始まりました。
ただ、当時としては恵まれていたんでしょうね、みっちりと研修を受けることができました。
そこでいろんなことを覚えながらプロジェクトのことを先輩に教えてもらいながら色々と作業を教えてもらいました。

そんな中で7年間、開発チームにてプログラムを書いたり、テストケースを作ったり、要件定義をやったり。
だんだん上流に流れていきました。
そうした時にでてきるのが運用チームとの会話なのですが、そこでやっぱり色々とぶつかるんですよね。
「そんなの運用は受け入れらない」って。

どうして運用として受け入れられないようなことがあるのか?開発目線だとやっぱりわからないんですよね。
なので、せっかくなのでプロジェクトとしての利を活かそうと思って、思い切って開発から運用へ移ることに。
プロジェクト自体はかわらないのでこれまでの知識も活かせるので異動しても業務を覚えるとかの苦労は少なかったですね。

それ以上に応えたのが運用のシンドさでしたね。
オペレータが監視していてエラーが上がれば夜中であろうとなんであろうと電話がかかってくる。
それに対して適切な対処をしていく必要があるんです。
これだけは本当疲れました。

この当時はまだプロジェクトで1組織みたいなのも多かったのですが、ちょうどこの運用に移ったあたりを境に、組織の作りが変わります。
開発は開発、運用は運用といった組織形態に変わります。
なので、これまで割と開発-運用で異動ができたものが難しくなりました。

この辺から個人的は色々と組織運営が迷走している気がします。

で運用をしばらくやっているうちに次男が生まれたのをきっかけに育児休業を取得。
これが2014年11月ですね。


参考
2014年11月より育児休業を取得することにしましたじゅんログ

正直色々と仕事で疲れていたというのもあったのかも。
でも育児を一人で日中こなすといういい経験ができました。

そこから復帰したのが、新しいサービスの立ち上げ。
またこれが色々と大変でした。

そのあと、関わっていたプロジェクト自体は変わるものの運用のチームであることは変わりませんでした。

そこからほぼ2年くらい、新規サービスの立ち上げに関わることに。
久々に運用をはずれたものの、それなりにタフでした。

まぁ、ざっと書くとこんな感じです。

こうして振り返ってみると割と新しいことにいろんな場面でチャレンジさせてもらっていたことを思い出します。
そういう意味ではいい経験をさせてもらったのかなぁと。